ハーモニカを盗まれた話

ある夕方 表への出会い頭に流星と衝突した
ハッと思うと そこにはたれもいなかった
おれはプラタナスの下を歩きながら考えた
するとそれが流星であったかどうかわからなかった
が 衝突したはずみに帽子を落とした
帽子を調べてみると ほこりがついていた 
おれは家の方へ走った 
部屋にかけこむなりテーブルの引き出しをあけた 
ハーモニカがなかった
                    
   「一千一秒物語」稲垣足穂
A MEMORY(抜粋)

トンコロピーピー…ピー…
 笛の音がすると 月の光がまたひとしきり降りこぼれてきます
 すると
 「たぶんこんな晩だろうよ ー」
 どこからかこんなつぶやき声がしました
 「え?どうしたのが」
 とわたしはおどろいて問い返しましたが 声は 何にも答えません
 そして相変わらず月の光がシンシン降っているだけでした                    
    「一千一秒物語」稲垣足穂
月をあげる人

ある夜おそく公園のベンチにもたれているとうしろの木立に人声がした
「おくれたね」
「大いそぎでやろう」
カラカラと滑車の音がして東から赤い月が昇り出した
「OK!」 そこで月は止まった
それから歯車のゆるゆるかみ合う音がして月もゆっくり動きはじめた
自分は木立のほうへとんで出たが
白い砂利道の上には只の月の光が落ちて 聞こえるものは樅の梢をそよがす夜風の音ばかりだった

    「一千一秒物語」稲垣足穂
黒猫のしっぽを切った話

ある晩 
黒猫をつかまえて鋏でしっぽを切るとパチン!
と黄いろい煙になってしまった
頭の上でキャッ!という声がした
窓をあけると 尾のないホーキ星が逃げて行くのが見えた

    「一千一秒物語」稲垣足穂
ポケットの中の月

ある夕方 
お月様がポケットの中へ自分を入れて歩いていた
坂道で靴のひもがとけた
結ぼうとしてうつ向くとポケットからお月様がころがり出て俄雨にぬれたアスファルトの上をころころころころと
どこまでも転がって行った
お月様は追っかけたがお月様は加速度でころんでゆくので
お月様とお月様の間隔が次第に遠くなった
こうしてお月様はズーと下方の青いもやの中へ自分を見失ってしまった

   「一千一秒物語」稲垣足穂