ある夜倉庫のかげで聞いた話 「お月様が出ているね」 「あいつはブリキ製です」 「なに ブリキ製だって?」 「ええどうせ旦那 ニッケルメッキで すよ」 (自分が聞いたのはこれだけ) 「一千一秒物語」稲垣足穂 |
ココアのいたずら ある晩 ココアを飲もうとすると あついココア色の中から ゲラゲラと笑い声がした びっくりして窓の外へほうり投げた しばらくたってソーと窓から首を出してみると 闇の中で茶碗らしいものが白く見えていた なんであったろうかと庭へ下りて いじろうとしたら ホイ! というかけ声もろとも 屋根の上までほうり上げられた 「一千一秒物語」稲垣足穂 |
A CHILDREN'S SONG お月様でいっぱいで お月様の光でいっぱいで それはそれはいっぱいで…… 「一千一秒物語」稲垣足穂 |
月から出た人 夜景画の黄いろい窓からもれるギターを聞いていると 時計のネジがとける音がして 向こうからキネオラマの大きなお月様が昇り出した 地から一メートル離れた所にとまると その中からオペラハットをかむった人が出てきて ひらりと飛び下りた オヤ! と見ているうちに タバコに火をつけて そのまま並木道を進んで行く ついてゆくと路上に落ちている木々の影がたいそう面白い形をし ていた そのほうに気を取られたすきに すぐ先を歩いていた人がなくなった 耳をすましたが 靴音らしいものはいっこうに聞こえなかった 元の場所へ引きかえしてくると お月様もいつのまにか空高く昇って静かな夜風に風車がハタハタと廻っていた 「一千一秒物語」稲垣足穂 |
投石事件 「今晩もぶら下がっていやがる」 石を投げつけるとカチン! 「あ痛た 待て!ー」 お月様は地に飛び降りて追っかけてきた ぼくは逃げた 垣を越え 花畠を横切り 小川をとび 一生懸命に逃げた 踏切をいま抜けようとする前をヒューと急行列車がうなりを立てて通った まごまごしているうちに うし ろからグッとつかまえられた お月様はぼくの頭を電信柱の根元でガンといわした 気がつくと 畑の上に白いモヤがうろついていた 遠くではシグナルの赤い目が泣いていた ぼくは立ち上がるなり頭の上を見て げんこを示したが お月様は知らん顔をしていた 家へ帰るとからだじゅうが痛み出して 熱が出た 一部抜粋 「一千一秒物語」稲垣足穂 |